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10

30

23:32
Mon
2006

No.0149

学校へ行こう

別に毎日FFの記事を書く義務も無いからねー。
明日も多分FF関係無いよ。真面目なの書いてるところだから。

最近どうも教育関係でのニュースが多いようで。
卒業要件の必修科目未履修問題とか、いじめによる自殺問題だとかを目にする。
未履修問題は、学校側の管理不備、怠慢が一番の原因じゃないだろうか。
この件に関しては、学校を監査する教育委員会内部の実態や
生徒や保護者の学校への盲目的な信頼、無知と
諸々に踏み込んで考えることも出来そうではあるのだけど
私自身に教育現場の知識や情報が無く、ボロが出そうだしやめとく。

いじめ問題について思ったことを書いてみる。
学内で起こったいじめ問題なんかは、学校側としては隠蔽する傾向にあるらしい。
いじめが公にされたら、学校側のイメージダウンに繋がるからだろうが。
実際は隠蔽してたことが分かれば、更に学校側への批判は高まると言うのに。

で、文部科学省の大臣なんかはそのことを指摘しつつ
いじめを未然に防ぐための教育方針を確立させたいとか、そんなことを言っていた。
世間的には「いじめは起こってはならない、起こるとしたら学校側に責任がある」
みたいな意見が多いと思うので、大臣の言葉には頷ける話なのかもしれない。

私としては、いじめは確かに起こらないに越したことは無いが
起こるべくして起こる問題であって、防ぐということは不可能だと思う。
よって、いじめを防ぐ教育ではなくていじめに対処する為の教育をすべき。
いじめを防ぐ教育をしたところで、厳しい実社会では通用しないだろうし。
学校側としても、世間側が「いじめは起こるもので、問題なのはその対応」
と言う認識に変わっていけば、隠蔽の体質も多少は改善されてくるんじゃないか。

そして、いじめ問題に関連して教育基本法改正への動きもある。
改正への焦点の一つが、条項にある愛国心と言う言葉の解釈。
愛国心を育てる教育についての議論なのだが、大きく分類すると
戦後の教育によってもたらされた愛国心の欠如を問題視する、推進派と
愛国心教育による戦前の軍国主義の復活を懸念する否定派に分かれる。

どちらの言い分も理解は出来る。が、私としては根本的なところにズレを感じる。
愛国心と言うのはそもそも、「育てる」ものではなくて「育つ」ものじゃないだろうか?
優しさや勇気、思いやりと言った類のことと同じで
口で説明して理解させるようなものでは無いと思う。

学校によっては、君が代斉唱の声量による愛国心有無の判定や
愛国心を段階別に評価する通知表などあるようだがこんなのは愚行の極みだろう。
私としては、愛国心を育てる学校教育を考えるよりは
日本と言う国そのものに愛国心を持てるような国作りを望みたい。

今日から教育基本法の審議が行われる。
改正されるとしてどのように変わるかはわからないが
間違っても若者達の未来を閉ざすような
教育ならぬ「凶育」にならないよう願うばかりだ。

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Maxil [No.152 - 09:56 2006]
生とか死をまず教えることだと思うんだよね。
日本はある意味平和だから死というものを見ることがないから、
見ることが出来ないなら、教えるしかないと思う。

誰も倫理的には言えないけど、死んだほうが負けなんだよね。
それを教えないといけない。
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edit
jval [No.154 - 19:57 2006]
今の日本で飢えて死んだり、人為的な災害で死ぬっていうのが
まず有り得ないことですからねぇ。
実際に生死ギリギリのところで生活している人達と比べたら
当然そう言った意識は希薄になってるでしょうね。
こう言ってる私も、安寧の上に胡坐を掻いている一人です。

死ぬと言うことが戦争など、特殊なケースを含めてみて考えても
必ずしも「負け」であると私には言い切れませんが
少なくとも、生きてる私らにとって「終わり」であることは間違いないと思います。
生きること、死ぬことを理解するのも難しいですし
増してや教えるとなると尚更難しいとは思いますが
難しいと言って何もしないと変わらないままですからねぇ。
とりあえず、今の自分に出来る範囲で考えてみたいとは思います。
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